寄付について


はじめに

 これまで、わたしのホームページはすべて無料で提供してきましたが、必要な経費を賄い、さらに内容の充実を図るために、希望者からの寄付を受け付けることにしました。詳しいわたしの考えを聞きたい人は、後述の講釈を参照してください。

今すぐ、寄付します

対象者

 寄付をしたい人は、誰でも寄付してもらって構わないわけですが、基本的に次のように考えています。ただし、あくまでも寄付は自発的にお願いします(^^;

・ゆたかのホームページの利用によって利益を得ている個人、法人
   利益といっても、いろいろありますね。
   何かを購入しなくて済んだというのも利益ですね。
   写真素材集、参考書籍を購入しなくて済んだとか、
   楽しんでいるとか、勉強になったとか、
   感銘を受けたとか、人生が変わったとか(笑)
   素材を使って金銭的な利益を得ている個人、法人は
   寄付を義務(素材の使用条件)とします。
・ゆたかの創作活動を支援したい個人、法人
   今後の活動は、できるだけ寄付者の意向を考慮します。
   つまり、寄付するだけ欲しいものが増えるということです。
・お金が余っていて、使い道がない個人、法人
   是非、寄付してください。。。(^^;

寄付の使途

 特に決めていませんが、基本的には以下のような内容です。使途は、できるだけ寄付者の意向に配慮して決定します。

・ホームページ格納のためのサーバ費用
・ホームページ格納環境の改善
・ホームページ開発環境の改善(PC、スキャナなど)
・ホームページ開発に係る費用
・撮影に関する費用(フィルム代、現像代、諸費)
・撮影機材の改善(カメラ、レンズなど)

約款

 寄付者(以下、甲)と被寄付者(以下、乙)は、寄付という行為により、如何なる権利、義務を生じないものとします。以上。

 補足:つまり、お互いに煩わしいことは何もしなくて良いということです。とはいえ、乙は任意にサービスを提供しようと考えています。それは以下のようなものです。また、寄付額が多い寄付者には、特別のサービスをするかも知れません。

・ホームページ主用更新内容の通知
・寄付者への優先的なコンテンツの提供
・寄付者への限定的なコンテンツの提供
・希望者への写真などの送付

プライバシー保護規定

 寄付時に提供された個人情報は、被寄付者が寄付者の皆様に連絡を取る目的以外で使用されることはありません。当然ながら、第三者への転売はありません。

今すぐ、寄付します

講釈

 「趣味でやっていることでお金を取るのは悪いことである」という概念が一般にはあるように感じますが、その考えはあまり良い結果をもたらさないと思います。基本にある考えは、「お金は邪悪なものである」ということではないでしょうか。  「お金は邪悪なものである」という考えから、正しいことをしている人は給料が低く、邪悪なことをしている人は給料が高くなることになります。神の教えを説く聖職者(一般的に素晴らしい職業と考えられるもの)は貧しく、ストリッパー(一般的に忌み嫌われる職業と考えられるもの)は富んでいるという例えがありましたが、これも似たようなものだと思います。
 自分の信念から慈善事業、環境保護、難民救済などのために働き、やりたいことをやっている人々を、世間は賞賛します。しかし、彼らは一般的に裕福ではありません。やりたくもない仕事を嫌々ながらやっている人々を、他の人々は嘲笑します。しかし、彼らは一般的に貧乏ではありません。やりたいことをやっている人々が貧しく、やりたくないことをやっている人々が富むというのは、「お金を得るには嫌なことをしなければならない」という考えから来ています。そして、この考えも「お金は邪悪なものである」から派生したものです。
 そんな考えは捨ててしまいましょう。人は誰でも自分の好きなこと、やりたいことをすればいいのです。すべての人が自分のやりたいことをして、それで裕福に暮していけるとしたら、それは素晴らしいと思いませんか。本来、社会はそうあるべきだと思います。自分の好きなことをして、それが職業になればいいわけです。
 お金というのは蓄えられたエネルギーです。エネルギーは誰かから奪うものではなく、自発的に誰かに与えるものです。あなたが与えるとき、あなたも与えられます。そして、世界の人々が与え合うとき、人々は満たされます。そして、人々はそれが愛であったことに気がつきます。お金が愛であったわけではありません。お金はエネルギーとして、愛を伝える媒体になったわけです。お金を与えるという行為が愛であったわけです。そして、それは愛、すなわち、我々自身から発生したものです。
 大切なことは「自発的」というところです。愛とは強いられるものではなく、自発的なものだからです。もし、愛が強いられたなら、それはすでに愛ではありません。そして、寄付という行為も自発的なものであることに注目してください。寄付は、自分でそうしたいからするのであって、誰から強いられてするのではありません。すなわち、これは純粋な愛の表現なのです。本当は、すべての仕事もそうであるべきだと思いますが。
 経済とは、基本的に物々交換です。我々は、野菜を育てるのがうまい人から野菜を買い、魚を取るのがうまい人から魚を買います。もし、農家以外の人が野菜を育てたり、猟師以外の人が魚を取ったりしたら、とても労力(エネルギー)がかかることでしょう。だから、我々は自分の得意なことをやり、他の人の得意なことと交換するわけです。それはお互いが得をするシステムであり、どちらかのみが得をするシステムではありません。だから、我々はどんどん自分の得意なことをやり、他の人の得意なことと交換すべきなのです。
 ここで大切なのは、相手のやっていることを正しく評価するということです。もし、誰かが他の人々から搾取しようとするならば、我々は思い出さなければなりません、その人は与えようとしているのではなく、奪おうとしているのだということを。他の人のやっていることを正しく評価することにより、他の人も自分のやっていることを正しく評価してくれるのです。
 もう少し具体的に説明してみましょう。例えば、誰かがわたしのやっていることを評価して、寄付をしてくれたとします。すると、わたしはそのお金で写真のフィルムを1本余計に買って、撮影し、現像することができます。そして、ホームページには幾つかの写真が増えます。すると、わたしは自分のしたいことができ、寄付した人は新しい写真を見たり、素材として利用したりすることができます。これが、お互いに利益をもたらすということです。

「商売とは、お互いに利益をもたらすものでなければならない」(リッチ・デボス)

「人間関係とは、お互いの為になるものでなければならない」(ゆたかによる拡張)

 実際のところ、寄付があれば、いろいろなことができると思います。プロバイダ費用の捻出、ホームページ容量の拡張、無料の遅いサーバではなく、有料の速いサーバへの乗り換え、ホームページ作成環境の充実、写真品質の向上、などなどです。最終的にホームページを支持してくれる人が多くなって、寄付だけで生活していければ、ホームページ作成に専念することもできます(笑)
 偉そうなことを書いてしまいましたが、基本的には、これがわたしの考えていることです。さて、どうなることやら分かりませんが、とりあえず寄付の受付を開始いたします。請御期待。

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